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[4] ですね 渓流詩人 【2010/02/07 10:03:13】
[編集][削除] 全く同意です。
中等教育あたりから、物事を読み解く能力というか、解析能力
を身につけさせる学習プログラムというのは必要だと私も思い
ます。
YUさんの言われる「差異の有意度の判断」とは少し話がずれる
かも知れませんが、その判断力も「理解する能力」が大前提と
なる訳で、例えば映画ひとつ観ていても、作者の表現やシーン
の意味が全く理解できなければただ漠然と映像を眺めている
だけに過ぎなくなる。
台詞の解釈とか以前に、ヴィジュアルさえも理解できないとか。。。
よく「君は文系、僕は理系だから」と分けて捉えようとする
人がいますが、私はそのようなステレオ分けには懐疑的です。
なぜならば、YUさんの指摘に深い含みがあるように、リテラシー
は本来文系・理系という瑣末な弁別でなく、必要最低限の
「理解のため」の領域を覆うと思うからです。だから、文系・
理系とかは関係ない。極端な話、基本言語を理解できなければ
数学そのものの学習さえもおぼつかなくなる(これはYUさんの
先のレスにある理系大学での今後への懸念の通りだと思います)。
事実、優秀な人は文系も理系も「できる」訳ですし、過去の
偉人の例を見ても有能な数学者が哲学者だったりもする訳です。
そういう意味で、文理領域全般にわたる総合的なコトガラと
して、情報データを読み解く=解析できるという能力を身に
つける学習は、やはり中等教育あたりから必要かと思います。
特に、YUさんが言われるように統計データ読み解きについて
は、今後ますます必要になるし、見かけの数値に惑わされない
ようにならないと近未来において人々がヤバい状態になると
思うのです。
ただ、情操については、これは中等教育からでは明らかに遅く、
幼い頃からそのような環境に置かれないと脳が育ちませんよね。
音楽をまったく聴かないで10代まで育つと・・・
あるいは、風景を見ず、風に触れず、空を見ず、10代まで
育ったとすると・・・
右脳完全死滅のような気がします。
楽器や人の歌声聴いてもまったく感動しない人間になって
しまうのでは。。。
そして、それこそ、「何聴いても同じに聴こえる」とかいう
人間になったりして・・・。怖いなぁ、そういう世の中。
で、気付いたら、みんな能面のように同じ顔になっている。。。
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