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[3] Re:20年かかった 耕太 【2009/05/13 07:21:59】
[編集][削除] 20年間もよく辛抱されたことに本当に驚いています。簡単に20年間といってもとっても長い時間だったと思います。関係しての20年間は振り返ると本当に短い時間です。
私は、姉を初め母との関係は20年以上の相姦の関係で、現在も進行中です。姉と初めて男女の仲になったのは中学生の時で、姉が17歳の時だったんです。お互いが生涯ともに生きていこうと誓いあったころ、母に気づかれ烈火のごとく怒られた時のことは今も鮮明に覚えています。
しかし、一度生涯ともに誓い合った二人の関係は消えることなく生き続けていたのです。こんな関係を清算させられるように、姉は母の妹の旦那が経営していた施設に働きに行かされてしまったんです。
二人にとって耐えることのできない厳しい日々が流れていったんです。そんな私の姿を見て母がとっても心配され、早く姉のことを忘れるように話されたんです。私は姉と生涯ともに生きていくことを誓い合ったことなども涙流しながら母に全てを告白したんです。
母は、話聞きながら二人がそんなに愛し合っていたことを初めて知ったんです。当時は今のように携帯電話があるわけでもなく、姉から電話があっても私には一切話すことをさせなかったんです。そんな母がどうしたことなのか私の部屋に入ってきて姉の代わりになるようであれば、年取ったお母さんで我慢できるねって言ったんです。それまでは母を女性として見ることはなかったのに、姉と別れて一年近くなろうとしていた時期だったので、母の言った言葉に体が勝手に反応してしまったんです。
若さって本当にすごいと思いました。
初めて母と交わった日を境に姉のすべてを母に重ねることで私の体は母の体内へ出しても出しても弱くなることもなく、母が根を上げるまで毎夜続いたんです。母の体に変化が表れ始めたのは関係して数カ月過ぎたころだったんです。母は離婚した後抱かれることもなく母の女としての心も体もおとなしくなっていたのではと思います。そんな母の体にも心にも変化が見えはじめ、ともに寝る夫婦のような生活に母のほうが積極的に反応するようになったんです。
そんな生活が続きはじめると、あれほど姉のことを愛していたのに、母への愛が芽生えはじめ、母を本当に必要な女性として長い時間を過ごすようになったんです。
姉は、そんな母の姿に少し気付き始めたみたいで、姉から送られていた手紙に中に姉の気持ちがつづられていたんです。それは、周りに人に結婚を勧められ困っているとのことでしたが、結婚するために私とどうしても会いたいとのことでした。そのころは車も持っていたので、出張だと言って姉と二人でホテルの中で一晩中抱き合ったんです。姉は私が母との関係を全て話したのに動揺することなく、姉は私の子供を身ごもって結婚する気持ちを私に涙流しながら話し始めたんです。
このことを二人の秘密として実行していったんです。妊娠2ヶ月で姉は結婚したんです。旦那とは避妊しながら危険日を中心ンイ私の濃い精液を姉の子宮いっぱいに流し込んだんです。
私は、その後も母と夫婦のような生活をしながら、姉の出産を待ったんです。姉は実家に帰ってきてお産したんです。そして退院した日に母に全てを話し始めたんです。
「お母さん、この子は耕太との間にできた子供なのよ、これでお母さんと耕太を許せるから」
そんな生活がもう20年以上続いています。
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